こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるミノルさんです。
仕事に哲学はありますか?哲学は羅針盤です。
アメリカでは哲学コンサルタントの導入が広がっています。
といっても諸問題にこれと言った解答が用意されているわけではありません。
クライアンtに問いを投げかけ、一緒に問題解決に取り組みます。
このとき一番大切なのは質問力です。
正しい問いを立てることで本質的な議論を展開して課題を解決します。
ここでは哲学のある働き方について考えてみます。
自分のスタイル=自分の哲学
「付和雷同」という熟語があります。
意味は「自分にしっかりした考えがなく、むやみに他人の意見に同調すること。」とあります。
誰かが美味いというと行列ができる。
グルメな有名人が雑誌で紹介すると雑誌を持った女性が押しよせる。
つまりモノマネです。
モノマネの心理は世界でも異常に高いのが日本人です。
自分の意見がない。その背景には自信のなさがあります。
自分のスタイルというのは自分の哲学です。
なにを大事にするか、こだわるか、愛するか、自分のスタンダード、つまりガイドラインです。
自分のスタイルがないというのは、なにをやっても絶対にプロにはなれません。生き抜けない。
武器がないので戦えないからi生き抜けないのです。
「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるさんは、戦争で障害を負われました、
大変な時代を屈することなく、見事に戦い生き抜かれました。
子供が泣き出す奇怪な妖怪漫画を生涯の武器にされたからです。
ブッダは主体性と本質を大切にされました。
仏道は宗教以前に、哲学です。
哲学がなければ新規ビジネスも考えられない
「哲学思考」と言ったって、自分のガイドラインの上で考えるだけのことです。
だからガイドライン(=哲学)のない者に新規ビジネスを考えることはできません。
新規ビジネスは、哲学があるから考えることができるんです。
中小企業のオーナーは哲学を持っている人が多いので、やりますね。
大企業のトップはサラリーマンだから、哲学がなくても、人間関係の範囲でやらはります。
中小企業の重役、管理職はオーナー並みの哲学がないと打って出ることはできません。
Think Different
スティーブ・ジョブズが倒産寸前、瀕死のアップル社に復帰した時に打ち出したキャンペーンが Think Different(シンク・ディファレント)でした。
このCMの最後を締めくくる言葉が「変えられると本気で信じる人が本当に世界を変える。」というフレーズでした。
Here’s to the crazy ones.
The misfits. The rebels. The troublemakers.
The round pegs in the square holes.
The ones who see things differently.
They’re not fond of rules. And they have no respect for the status quo.
You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them.
About the only thing you can’t do is ignore them.
Because they change things.
They push the human race forward.
While some may see them as the crazy ones, we see genius.
Because the people who are crazy enough to think they can change the world,
are the ones who do.
- クレージーな人たちがいる
- はみ出し者、反逆者、厄介者と呼ばれる人達
- 場に馴染めない人達
- 物事をまるで違う目で見る人達
- 彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない
- 彼らの言葉に心を打たれる人がいる
- 反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる
- しかし 彼らを無視することは誰にも出来ない
- 何故なら、彼らは物事を変えたからだ
- 彼らは人間を前進させた
- 彼らはクレージーと言われるが 私たちは天才だと思う
- 自分が世界を変えられると本気で信じる人達こそが
- 本当に世界を変えているのだから
フェイスブックの創業者マーク・ザッカーバーグは、スティーブ・ジョブズが亡くなった日に「スティーブ、世界が変えられることをみせてくれてありがとう」とコメントしました。
ハングリーであれ、愚直であれ
スティーブ・ジョブズがアップル社に復帰した当時、大勢はアップル社の復活は難しいと読んでいました。
アメリカの政財界では「アップル社のような会社が倒産することは悲劇だ」という言葉が飛び交っていました。
しかし、自分を信じていたスティーブ・ジョブズは、iMacの大ヒットでつなぎ、IPod、ピクサー社のトイ・ストーリーと立て続けに世界的ヒットを飛ばしました。
このときすでに、頭にはMacintoshを中心にしたハブ構想がありましたが、偉大な構想を取り上げるマスコミもありませんでした。
それでもスティーブ・ジョブズは哲学を胸に突き進み、iPhone,iPadと世界を騒然とさせる商品を送りだします。
ハングリーであれ、愚直であれ
自分の遺伝子という哲学からの反撃
スティーブ・ジョブズには「哲学」がありました。
その哲学ゆえに一旦自身が創業したアップル社を追われることになりましたが、ジョブズは日々生まれ変わるのに忙しい人だったので、死んでいる時間はありませんでした。
ジョブスにとってアップル社は自分の遺伝子であり、人生、哲学そのものでした。哲学は思考ではなくあり方、行動そのものです。
スティーブ・ジョブズが引用したのは、ボブ・ディランのもっとも素晴らしい楽曲と言われている「Its Alright Ma , (Im Only Bleeding)」からの一節、He not busy being born is busy dying.(日々生まれ変わるのに忙しくない人は、日々死ぬのに忙しい)を自分のスタイルとして生きたのです。
「前に進もうとし続けなければイノベーションは生まれない。前に進み続けるんだ、日々生まれ変わるのに忙しくなければ、日々死ぬのに忙しくなってしまう」とジョブズが心境を語ったことで話題にもなりました。
この言葉が「ハングリーであれ、愚直であれ」に繋がっていて、禅に繋がっています。
「驀直進前」(ばくちょくしんぜん)
蒙古襲来の際、決断できない北条時宗に無学祖元禅師が
『「驀直去」(まくじきにされ)と伝え、「驀直」(ばくちょく)に前へ向かい、回顧するなかれ』と伝えたと言われています。
この祖元の言葉はのちに「驀直進前」(ばくちょくしんぜん)という故事成語になりましたが、意味は「この期に及んで妄想するな。結論が出たら、脇目を振らず真っすぐ目的に突き進め」ということです。
哲学のない人に哲学思考はできない
当たり前ですが哲学のない人に哲学思考はできません。
だからまず自身の哲学を明確にします。(変更はOKです)
ジョブズの名言のひとつに「自身がクオリティの判断基準となれ。中には高い質を求められる環境に慣れていない人もいる。」があります。
これが哲学=マイスタンダード(ガイドライン)のことです。
哲学は実践ですが、哲学を思考する場合に、何事もわからない時、質問つまり「問い」が重要です。問いを間違うと答えも間違ったものになります。
答えは哲学があるかないかで変わります。
哲学がない場合、問いも答えもフラフラしたものしかでません。
任侠映画のヒーローがカッコよく映るのは、ヤクザだけど人としてプロだからです。
自分の選ぶこと、選んだことを、他人と同調したり、人にせいにしません。人間のプロの生き様が見えるからカッコいいのです。プロとアマを分けているのは哲学の有無です。
現実社会で、もっともわかりやすいのがプロアマ問わずアスリートではないでしょうか?彼らは思考錯誤しながらも自分のスタイルを貫くことで現在のポジションを獲得しました。
「自分はこうや」と自分のスタイルで勝負しているのです。
「自分はこうや」というものがなしに、どうやって新規ビジネスを選択できるのでしょう。選択するとは切り捨てて集中することです。
他人の甘い話を聞いては揺れて、他人の厳しい話を聞くと引いての繰り返しをしていたら、口のうまい他人に騙されるのがオチです。
本質はルーティンに宿る
行き詰ると、これでいいのかと疑問を持ちます。
解明しようと本質を探ります。
そこで「哲学」の出番になりますが、こんな状態で哲学を持ち出してどうにかなるでしょうか?迷うばかりです。
ブッダは主体性と本質を大切にされました。
何代も受け継がれたからといって、その伝統を信じるな。
たくさんの人の間で語られ、噂になったからといって、それを信じるな。
あなたが所属する宗教の聖典に書かれているからといって、それを信じるな。
ただ貴方の先生や先輩の権威だからといって、それを信じるな。
しかし、観察と分析を行なった上で道理に合っていて、すべての者の利益になると貴方がわかったならば、それを信じなさい。「自灯明、法灯明」の教えです。
ブッダが死の間際に弟子に伝えられた哲学(=あり方)への道案内です。
「己事究明」はルーティンになる
曹洞宗の開祖、道元禅師は、坐禅の一事に専念せよと繰り返し説かれたそうです。
己事究明と言う言葉があります。自分と真正面から向き合う意味ですが、「自分を知る」ことや「自分を見つめる」ことは簡単なことではありません。 自分のことは自分が一番知っていると思い込んでいる人が多いようですね。
自分を明らめることこそ仏道であり、自分に気づき悟るには、ただただ坐禅のみに取り組めと説かれました。ひとつの事さえ専修するのは難しい。
ましてや能力の劣った者があれこれと手を出すと散漫になって、集中できるわけがない。いよいよ、なにも成就できなくなる。一事以外はきっぱり捨てよ。というわけです。
現代の状況を道元禅師が見たら「狂気」と言われるでしょう。
まとめ
「哲学のある働き方」は、必ずルーティンになって会社の隅々に宿ります。
もし会社の隅々に宿っていないと感じるなら、それはスローガンでしかないからです。
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