禅語「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」
その意味は、人は生きていくなかで、物やお金、あるいは社会的地位など、さまざまなものを手に入れ、自分のものだと思い込みます。そうすると失いたくないという執着が生まれます。手に入れたものを失う不安が、あなたの心に余計な苦しみを生みます。
生まれた時は、何も持っていなかった。だから、手にしたものに執着せず、捨て去れば、無駄な心配事はなくなり、心に余裕が生まれます。心の余裕は、あらゆるものを受け入れる寛容性、さらに慈悲の種子が芽生えます。これこそがもともとのいのちをいきるを智慧になります。智慧は暮らしをより穏やかなものにしてくれるでしょう。
では、禅語「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」があなたのリーダーシップにどのような影響を与えるのか、因果関係を詳しくみてみましょう。
計画達成率に悩んでいませんか
計画達成率が悪くなかなか思ったようにいかないと悩んでいませんか?
計画達成率の誤差はどうでしょう?
上下「1~2%」なら許容範囲ですね。これが85%や90%となると根本的な治療が必要です。
計画があってないがごとくだからです。
110~105%でも同じです。
これだけ誤差が出ると、「頑張ります」ではない課題があるようです。
和尚さんの出番のようですね。誤差のない世界へご案内しましょう。
禅語「無尽蔵」が説く世界
「本来無一物」は、「人間誰もが裸で生まれてくるので、生まれながらにして持っているものなど何もない」ということを言っています。つまり「何も持っていない、何にも執着していないからこそ、そこには無尽蔵の可能性を秘めている」ことを言っています。
たとえば目標達成にこだわることは「執着」ですよね。
それを「何にも執着していないからこそ、そこには無尽蔵の可能性を秘めている」と言われてしまうと「?」になりますよね。
でも、筆者は、やはり「執着」が問題だと思います。
成果主義と結果主義、執着が弱いのはどっち?
プロセスに関心が薄く結果がすべてである「結果主義」は、達成率で評価するもので学校の試験とよく似ています。
一方、成果プロセス主義は100%に到達したか、しなかったかの評価です。
しかし、成果プロセス主義と結果主義の違いは、実は似ても似つかない世界なのです。
こんなに違う!成果主義と結果主義
成果プロセス主義と結果主義では、会社内の考え方、行動のすべてで、驚くほど違いが生じてきます。
結果よりも「目標達成のプロセス」が重要
必ず達成しょうと思うと、達成する方法を練る必要があります。
そして計画通りに実行します。
このとき、大切なのが計画を実行したときに、障害になることを全部洗い出し、対策しておくことです。
これが不十分だと番狂わせが生じます。
- 番狂わせを想定して、対策を講じておくこと
- 対策を講じても、起こりうる番狂わせの、対策を準備しておくこと
- 準備した対策が機能しなかった場合のことを用意しておく
計画通りに実行するのは大変ですが、
- 障害が起こらないようにする
- 障害が起こった場合の準備をしておく
計画通りにいかないと嘆く方は、障害の対する準備が不十分なのです。
目標はあるけれど、具体的にどうしていいのか解らない
目標はあるけれど、具体的にどうしていいのか分らない会社が多いのは、仕事を知らないからです。
どうしていいのか解らないから、対策を考えるのです。
すぐに諦める人たちは、解らないから、諦めるのではないのです。最初に諦めているから、何年たっても使える計画が立案できないのです。
黙って聞いていると「外部要因」ばかりです。
まず「仕事できる状態にしましょう」・・・・スキルを整えましょう。
そこでリーダーシップに悩まなくても大丈夫。
「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」を信じましょう。
二分化法思考に陥いると「無尽蔵」は遠い
何にも執着していないからこそ、無尽蔵の可能性があります。
そこで、まず「無一物中無尽蔵」の邪魔をする思考法に注意しましょう。
やってやってやり尽くしてダメだったたら、恥をかけばいい、死んだらいいとは考えません。恥をかくのが、いやだからできそうなことしかしない。「二分化法思考」に陥ってしまいます。しかし、できることしかしないから、すぐに枯渇します。
計画が曖昧だから、計画通りに実行してもしなくてもどうでもいいみたいな会社が多いのです。こういう会社では働き方が真面目かどうかが評価基準になります。
具体性がないのでコメントも「感情的な表現」が中心になりますが、肝心なことを具体的にどうするのか、いくら聞いても分らない。これで会議したらどうなるか、結果は明らかです。
二分化法思考が支配しているので「コツコツ努力を重ねて理想に近づける」空気が乏しいのです。
能力の確認と育成
できない場合にはできるようにトレーニングします。
具体的なトレーニングで人が成長します。あるいはできる者が担当します。
「白か黒か」「すべてか、無か」にブレる原因
そもそも計画がデタラメです。
育たない仕組みがあり、育たない仕組みが機能しているからです。
ひどい場合には目標すらない会社があります。
物差しは「前年比」だけという驚くケーズがあります。
そもそも、100年時代のように「けもの道」を猛スピードで走る場合、計画は万能ではありません。万能でないから計画はいらないのではなく、計画をきちんとこなせる能力を身につけておく必要があります。
型があるから型破りができます。型のない者に型破りはできません。計画通りにやっていても予期せぬ障害が生じて型破りの機会がいやでも生じます。基礎的な力がないとアレンジ(コントロール)できないのです。「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」・・・型や目標に執着せずに済むのは、自分のスキルを信じていまここ、この瞬間に集中して取り組めるからです。
たとえば禅の名著「弓と禅」では、的を射ようと弓を弾くとき、師匠から力を抜けと教わります。そんなに力を抜いたら、だれがこの矢を射るのかと不思議に感じます。すると師匠曰く「それが射る」と答えます。「それって、な〜に?」と頭の中ははてなで、いっぱいになります。
計画を立案するときに、実行できるスキルの有無はこれでもかと確認しておくべき重要なテーマです。これをしていないから結果主義になってしまい、やる気を高めることもできずチームは職務を果たせなくなるのです。
実行できるスキルを身につけるには「コミュニケーション」が絶対必要になります。必ず大丈夫でないのに「大丈夫です」という人が現れるからです。そこで「いいや、大丈夫じゃない」というと反感からチーム崩壊に発展します。大丈夫でない人は危機感の欠如がそもそもの原因なので、必ずと言っていいほど人の責任にします。自分の責任だと解っているので、苦し紛れに他者のせいにするんですね。マイナスの因果関係は小さいウチに刈り取るのが鉄則です。
矢面にたたされるのがリーダーです。目標は悪い現実に合わせざるを得なくなり、モチベーションの高い人材は減る一方になります。これを防ぐには、型や目標に執着せずに済むほどスキルアップを繰り返します。
チームで「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」を会得するのです。
人が苦手。人が怖い。
人が苦手。人が怖い。というリーダーが少なくありません。
リーダーになる基準が間違っていたのでしょね。
- トップリーダーに多いケースが二代目、三代目といった理由。
- 選ばれたリーダーの場合は、営業成績が良かったケース。
どちらも部下をつかうという仕事とは別の理由で選ばれたのが思い違いの災難です。
人が苦手。人が怖い。って、もともと味わったことのない感情である場合がほとんど。
「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」あるがままでOKなのです。
相手が誰であっても、傷つけられないかと思うと、言いたいこと、したいことが言えないできない。
それが自分でわかっているから、避けて通って本質と無関係な条件で動かそうとしてどうしていいのか解らなくなるのです。
でも人はそれでは動きません。
「人を育てること、幸せにする」とは、あらゆる期待を手放し、人が持つ特質を励ますことであり、正しい計画には、分かち合うことで、自尊感情を最大限まで引き上げる力があります。
まとめ
人は持たなければ持たないほど、悩みが減ります。太古の昔から受け継いできたもともとのいのちは、ただ生きようとしています。
どうしたら生かせるのか、もともとのいのちに余計な負担を強いることなく、応援するのが地球上に生きるすべての人の役割です。
どうしたら、うまくいくかを考えて「再現性が高いか低いかを」見極める。
それには言い尽くされていることですが、P→D→C→Aで精度をあげることです。
「アメとムチ」と言われますが、それほど単純なものではないのは明らか。求める結果(成果)に到達するには、どのようなプロセスが必要なのか、その青写真(計画)があり、計画通りに進めた成果であったことは間違いなさそうです。そして大切なこと、関わる末端のあったこともない人々、ひとりひとりにまで気配りがあり、慈悲が希望を与えたことです。執着に囚われず、すでにある特質を信じて、あるがままに整えようと明晰さを働かせたのでしょう。
しかし人は希望が持てるのです。
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