「脚下照顧」という言葉は、よく使う言葉なので、逆に誰にでも使い易いように平たい言葉に置き換わって行ったのではないでしょうか。
では、リーダーシップに悩む人に、「脚下照顧」の意味を探ってみます。
禅語「脚下照顧」
「脚下照顧」・・・・自分がぐらついていないか省みる
未来とは遠い彼方にあるのではなく、現在の延長にあります。
一人の場合も、百人の場合も「脚下照顧」を貫く
もし、脚下照顧を忘れたカップルだったら、先々、どうなるでしょう。
脚下照顧を忘れた百人の会社の場合は、どうでしょう?
自分が何者で、何をするべきか。何をしてはいけないのか。
自分を知っていて、正しい歩みができるから、思う場所にたどり着くことができるようになります。
しかし、人は人によって生きる環境が違うので、誰でも同じというわけにはいきません。二人の場合でさえ、私とあなたは違うので、ふたりが揃って「脚下照顧」を心がけても、足元の違いは歴然です。
では、どうすれば「脚下照顧」の効果は現実になるのでしょう。
価値観の共有
ここではマネジメントする立場にある人、これからマネジメントする立場にある人を対象に進めます。
「脚下照顧」と書いた紙を百人全員に配ったとします。
配ったから、あとは「実践」を期待する。
しかし、この期待は、すぐに挫折します。
配った人が、配ったことで安心して「脚下照顧」を忘れてしまうからです。
「脚下照顧」は一次的には「人に言う前に自分を正せ」という意味ですが、なにを正すのでしょう。
その質問にどう答えるかは、自分次第です。「脚下照顧」の本質は、そこにあります。
紙に書いて配ったところで、安心して、人は、すぐに忘れます。
忘れる以前に、まず「気にも留めていない」のが現実です。
スティーブ・ジョブズ氏は、計画を実行に移してから、あらゆる部門で問題が発生するといいました。そこからが本当の戦いだと言います。(『ロスト・インタビュー スティーブ・ジョブズ 1995』)
「脚下照顧」の真髄
まず記憶してもらう必要があります。記憶する一番の方法はなんでしょう?
思い通りにならない未来をああだ、こうだと言っても実際には何も変わりません。
一番大切なのは今日、いまここ、この瞬間の一歩です。
いまできることを真剣に全力で取り組む。これが「脚下照顧」の真髄です。
ことを起こす時は、人の心をよく理解して、手を打たなければ意味をなさない。
「脚下照顧」でなければ、目指す目的を達成することはできないのです。
「脚下照顧」7つの足で自分を支える
だから脚下照顧・・・足元がぐらついていないか絶えず点検が必要になります。
しかし実際にはのしかかる体重を足で踏ん張って支えているわけではなく、うまく分散して筋肉と骨で支えています。
同じように、人には、素晴らしい人生を過ごす上で、生活には七つの側面があります。
- スピリチュアル(霊的)
- 精神
- 仕事・職業
- 財政
- 家族
- 社会的な影響力(リーダーシップ)
- 肉体的なバイタリティ、ルックス
これらの側面は、誰に対しても、ひとつ、ひとつ意識することはなくても、自分の日常を支えています。
あるがままのリーダーシップで、慈悲を持って、聴いてあげれば良いのです。
いま、ここ、この瞬間に揃えることは無理ですが、歩きながら整えるのです。
脚下照顧と書いた紙を配ることではなく、「脚下照顧」になりきってこそ、「脚下照顧」は浸透します。
百人の「脚下照顧」を傾聴する
Photo by inbal marilli on Unsplash
7つの側面から、脚下照顧について、百人本人から、話してもらい、傾聴します。
こうなればうれしい、楽しい、ハッピーということです。
人にはそれぞれ独自の優先順位があります。そこに「その人なり」が見えます。
足元で立つとは、下半身全部で自分を支えて立つことですから、「全身全霊でなりきる」に通じます。
まとめ
禅語「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」足元を見たら世界が変わる。
足元を見たら、なりきることを思い出し実践することで、価値観が変わります。
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