お客様の心の動きは、どんな商品を買う場合も、サービスを受ける場合も同じです。
だから焼き芋を売るのも、家を売るのも同じなので、焼き芋が売れない人に家は売れません、
お客様に一生の間に、買う数が違うだけで、リアルでもネットでも媒体が違うだけで、これも同じです。
同じことは働く人にも言えることで、焼き芋が売れない社員ばかり育てても(?)家は売れません。
働く人もお客様も心の動き方は同じなので、社員を動かせないとお客様も動かせません。
心を動かす10のステップ
このように、お客様の動きも、社員の動きも同じです。
GPTWが提唱する「働きがい」の10のステップは、お客様が4つの階段を上ることと同じ心理が働いています。
- 採用する
- 歓迎する
- 触発する
- 語りかける
- 傾聴する
- 感謝する
- 育てる
- 配慮する
- 祝う
- 分かち合う
以上、10のステップをひとつのストーリーと考えて、先に、先に繋がるようにします。
このようにストーリーを持って進めているでしょうか?
ある会社では、入社式で社長の話を聞いた途端、やる気が失せて退職したという事例もあります。
なぜ、そんなことになったのでしょう?
社長の言葉に触発されることなく、なにがしからのインスピレーションも感じることなく、何年働いても時間の無駄を感じたからです。
これをお客様に置き換えても同じです。
いくらリピートしても得るものが自分の求めているものと根底から違うと感じたら、二度ときません。
まったく心が動かないのです。
実際には、いろんな店なりにお客様は来てくれているので、「まあ、こんなものかな」という気持ちが働き、事実上、現状を受け入れてしまうのです。
分かち合いたいものを示しているか
先のマトリックスを相手から見たらこうなります、
分かち合いたい目標が、相手に見えるか?
相手は知っているのか?
そして、その階段は登りやすいか?
上れないような階段になっていないか?
共有できていることが重要です。
職場を照らす自明灯・法明灯
「まあ、こんなものかな」・・・この妥協の産物が怖いですね。
お釈迦様は、死が間近であったときに、弟子のアーナンダが「師が亡くなったら、何に頼ればよいのか」と嘆くので、アーナンダに諭した言葉があります。
有名な「自明灯、法明灯」です。
「自らを灯とし 法を灯とせよ」ということです。
自灯明とは、自分自身を頼りとして生きていきなさいという意味の禅語です。
この世界が、暗闇であっても、自分を拠り所にせず、権威のある人のいうことだからと鵜呑みにせず、法に頼り、自分を拠り所にして、生きていきなさい。
法とは、原理原則のこと。
「自分を頼りせず、自分を頼りにして」とは、矛盾していますが、自分を疑い、そして自分を自分を拠り所にしなさい」ということですから、「自分に疑いを持ち続けて、自分が信頼できる人間になるように磨き続けなさいということです。
慢心せずに常に自分が信頼できるように磨きなさいということですね、
つまり批判主義です。「まあ、こんなものかな」はNOというものです。
「自明灯、法明灯」を念頭に、
- 採用する
- 歓迎する
- 触発する
- 語りかける
- 傾聴する
- 感謝する
- 育てる
- 配慮する
- 祝う
- 分かち合う
以上、10のステップを見直してみましょう。
お客様との間に「分かち合う」目標はありますか?
社員との間に「分かち合う」目標はありますか?
スローガンではなく、具体的な階段が用意されていなければ、「分かち合う」場所まで上ることはできません。
まとめ
10スッテプは具体的な日程なしには成り立ちません。
3ヶ月で1クールとして1年で4クール。PDCAを回して進めていきましょう。
!年に4回社員と分かち合えるときを持てることは、チームが大きく進化することを意味します。
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