人は楽しいと感じることをしていると、自然と没頭します。没頭していないと笑顔も出ないものです。心ここにあらずだからです。仕事・遊びを問わず、笑顔がなく、心ここにあらずだとつらい時間でしかない。禅語「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」は毎日を楽しくすヒントに満ちた言葉です。
では、禅の原点といわれる「喫茶喫飯」とリーダーシップについてのお話です。
禅語「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」
「喫茶喫飯」は、いま、ここ、この瞬間に集中する。大切さを言い表した言葉です。
お茶を飲んでいる時はお茶を飲むことだけに集中する。ご飯を食べる時は、ただ食べることに集中する。禅寺では食事中の会話は厳禁です。現代人の感覚からすれば、「黙食」なんて、楽しくないということになりますが、禅の考え方では真逆です。お茶と自分を一体化して宇宙に入る、そこに武人の教養がありました。元来「武人」と「文人」は対比的な表現として使用されますが、お茶の心得のない武人は一流とはみなされませんでした。いま、ここ、この瞬間に集中できない人はコアバリューのない人であり、信用されなかったといって過言ではないでしょう。
本当に、人を育てる意欲があるのか
モチベーションを高めるには「高い給与」を用意するというトップリーダーが存在します。果たして思うような人材を集めることはできるでしょうか?
答えはノーですよね、
人を豊かにするには、お金も大事ですが、同じように、気持ち、人間関係が重要です。
いま、ここ、この瞬間に集中する仕事をするには、共感が必要だからです。
分かち合う歓びを忘れて、いい職場は創造できません。
コアバリュー(本当の価値観)にスポットライトをあてないこと自体、人を育てる意欲が乏しい、組織は人の集合体ですから、スローガンを並べ立てても、いま、ここ、この瞬間に集中する組織を育てることはできません。意欲が乏しいと肌で感じます。
意欲が乏しいと感じずにいられない無責任を会社の風土から、肌で感じる人が相次ぐので、給与に反比例して退職率は高くなります。
それでもコアバリューを気にもとめていないので、原因を外部要因に押し付けます。
社員とトップリーダーの双方が、原因を外部要因にするので、業績低迷に悩みます。
現代では「滅私奉公」という概念は死語なので、偽りの「滅私奉公」という馴れ合いの関係が隠されているケースが数多くあります。
いまだに根強い「滅私奉公型」経営
会社は発展していかないと、従業員の期待にも応えることができないので、発展をめざしますが、共感すべきコアバリューがないと、空回りします。
結果、発展できない真の原因がどこにあるのか分らないままです。
人を金儲けの道具としか思わず、育てることもせず、支配することを「人遣い」を誤解しているリーダーは決して少なくありません。
人を使うとは、人を育てること、幸せにすることです。
人を育て、幸せにするには、必要なことは伝えるし、教育にも熱心です。
教育に熱心とは、仕事を知ること、仕事ができるようになること。
チームワークとは、チームの個々が自分の仕事は自分で果たせること。
人生と仕事は別次元のことです。
ところが全く別の価値観で動いているのが、滅私奉公です。
仕事ではなく事業体に、自分の人生を捧げることです。
間違ったことをしていると達成できない
正しくない計画で突き進んでしまうことが達成できない原因です。
受け取っている側も正しい計画が立てられないのです。理由は簡単です。見せかけだけで、誰も本気でない。つまり人が育たない。
人が育たないから、正しくない計画が横行します。徐々にジリ貧になるのは必至です。
解りきった「因果関係」が放置されたままです。
「人を育てること、幸せにする」には、計画達成は必須条件です。
達成実現に、触発し、語りかけ、傾聴し、感謝して、能力を引き出すことが、最初のステップです。
従順な子どもの心の本質に注意しましょう。
誰も本気でない、会社は多く存在する!
誰も本気でない!見せかけのやる気が横行しやすい会社は気をつけましょう。
人が成長しないから、結果主義でいくしかない・・・「やる気、感情が第一」という悪循環が断ち切れなくなります。ますます能力は磨かれず、人は育たず、先細りになるばかりです。
この原因のためにどうあがいても成長軌道に乗らないばかりか、衰退の一途を辿る会社が少なくありません。その破綻は社員の相次ぐ退社による人手不足から始まります。
あるがままの「喫茶喫飯」
無意識であれ、結果主義の発想をしている人には、計画の策定に共通した欠点があります。
たとえば計画を立てるときに、過去の実績を参考にたてます。
このときにお客様からの依頼のあった商品や、偶然性の高い商品まで計画に組み込みます。
なぜなら偶発的なものを計画に組み込んでも、自発的な行動では、意識の外になるからです。
ライフシフトができるようにリーダーシップを発揮することは難しいことではありません。世俗の生活で埃をかぶるように、煩悩にまみれることはやむをえません。
煩悩は単なる心理現象なので放置しておけば消えてなくなります。
仕事に取り組んでいる時は、目の前のひとつひとつに集中することです。
結果として自然体で「喫茶喫飯」を実践していることになるのがあるがままのすがたです。
まとめ
「喫茶喫飯」とは、三毒を解き放ち、夢物語に別れを告げて、現実に踏み込むことです。
- 自分にないものを求めない
- 人と比べない
- その2つのために、自分の能力を高める
これらを実現するために、「喫茶喫飯」なのです。
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