マインドフルネスでバラ色に暮らす

マインドフルネス
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グーグルがなぜ「マインドフルネス」を全社的に展開し、見習うかのように他社に広がっているのか考えてみましょう。

Googleのマインドフルネス

マインドフルネス(mindfulness)という言葉は、パーリ語のサティ(sati)の翻訳です。、仏教の教えでは、マインドフルネスは、人を苦しみからの完全な解放に導いていくプロセスで自己認識や智慧を発達させることに役立っていると言われています。

「今、この瞬間の体験に意識を集中させ、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることも多いようです。坐禅の光景が浮かびますが、グーグルなどの「マインドフルネス」では宗教色を排除しています。自分でできる心理療法という感じですかね。

先進企業と原始仏教

簡単にいうとITが成長する反面、公私にわたり人の心がバランスをとりにくくなっていることへ、成長するには人心が伴わないと危険だと考えているからですね。

「マインドフルネス」のベースは仏教ですが、アメリカでは宗教は仏教がキリスト教に次ぐ第2位のポジションにあります。
アメリカ仏教は日本のような儀礼仏教ではなく、悟りより心理学、科学の側面が強く、トレーニングも具体的です。
なので禅寺である福井県の永平寺の修行などがよく知られれいます。

認知症予防にも効果的なマインドフルネス

マインドフルネスは認知症対策、予防として効果的と科学的にも立証されています。

その土台には「原始仏教」があります。
仏教は、原始仏教、根本仏教、主流仏教とも呼よばれますが、「原始」「根本」「主流」という言葉にはさまざまな価値感があります。ここではオリジナル(初期仏教)という意味でとらえてください。

お釈迦様が追求したものですね。

こういった時世の流れは仕事のあり方にも反映されていますが、人の心は変わらないものです。

一切皆苦の世界をバラ色に暮らす

「一切皆苦」です。
「お釈迦様は生きることは苦しみだ」ととらえました。お釈迦様は裕福な家庭で育ちなに一つ不自由のない暮らしをしながらも、満足できず出家されました。そこから勉強され「四苦八苦」という概念を乗り越える術を発見されました。

別に「悟った」とかおっしゃったわけではなく、考えをお話しになられただけですね。
弟子が、どうすればそのような考えに到達できるのか追体験をしました。
それが仏教ですね。追体験がトレーニング方法です。
トレーニングに特化した宗派が禅のグループです。

日本の仏教は中国経由で入ってきたので、大乗仏教しか入ってきていません。
大乗仏教は根本分裂した後の仏教のことで対立軸に小乗仏教があります。
どちらかというと小乗仏教が古典的です。
アメリカは小乗仏教が中心的です。そこに禅が乗っている印象です。

はっきり言って仏教は哲学です。学問です。
なのでトレーニング方法も含めて科学的なもの、心理療法としてグーグルでも生産性を高める手段として採用されています。
その筆頭がアップルのスティーブ・ジョブス氏で、その考え方は製品に顕著に表れています。

マインドフルネスって一体ナニ?

製品から社員の考え方、行動までに広がっているマインドフルネスって一体なんでしょう。

簡単です。心身の健康法です。

心身が健康でなければいい仕事も、個人的な幸福も得られない。
会社も世界の発展もない。
世界的な企業であるグーグルは世界の幸せまで気にしています。
「空いた時間を世界のために使おう」と打ち出しています。これも時代の流れですね。

では、零細企業に勤めるものには関係ないのでしょうか?
とんでもありません。零細の方が関係あります。
SOHOなんて、お釈迦様なしに仕事できません。
・・・といっても拝みなさいではありません。
マインドフルネスは「宗教色」を取り払った実践的な哲学です。

頭で考えるのではなく、実践あるのみなのが、「マインドフルネス」です。

ネガティブな考えをしてしまう理由

人は自分を守ろうとします。

自分の心を(無意識に)守るために、

強い刺激や、人のせいにして、

回避しがちです。

でも、残念ながら

その方法はアルコールみたいなもので、根本的な解決にはなりません。

感情的になって興奮して依存しても、意識を麻痺させても、

ごまかしでしかないので、

否定的な思い込みが強くなるだけで、

同じことの繰り返しを続けるだけです。

で、これをやっていたその場はやり過ごせますが、なにごとであっても生産性はあがりません。

なにも生まれないし、育たない。不毛というやつです。

マインドフルネスの出番になります。

 

まとめ

矛盾のない世界は生産性を最強化します。

儲かることは人を幸福にした結果です。

でも、これは本当に幸せになるのか、見極めが大事ですね。

「自明灯、法明灯」

権威を鵜呑みのせず、自分を疑い、自分を信じられるほど学び、自分と原理原則を貫け。重い言葉です。

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